なぜカウンセラーに !? .....それは過去の人生体験によります。

 まず初めに、ここに至る迄の人生の歴史を書いてみたいと思います。 

 

                                         私の人生の歴史   

 

                       人は人生の中で何度か失敗や挫折を味わいますが、私の場合は二度の結婚~離婚でした。

                  最初の結婚では、相手を多く知らずして結婚した為、多額の借金があった事を知りませんでした。 「結婚」を

                    軽く捉えていた私の幼さ故でした。   当時リクルートに勤めていた私は、昼の営業の仕事以外にも、

                    夜も働かなければ、借金を返済出来ない状態になりました。 しかし働けど々金利しか返済出来ず、やがて前夫は

                    仕事への意欲を失くし、離婚に至ってしまいました。

 

                      その後新たな出会いを経て再婚に至りました。 彼は父親を亡くし母一人子一人の生活をしていました。 

                     結婚前から、母親は病気で寝たり起きたりの生活をしていましたので、結婚後はすぐに介護が始まりました。 

                    以降約9年間の義母の介護をへ、少しづつ回復し、10年が経った頃にはずいぶんと回復して参りました。 

                    すると、義母は孫の誕生を一番の楽しみにしていた為、なかなか妊娠しない私に、もう44歳位になっていた為、

                    「子供が出来ないのなら出て行って欲しい!」と言われてしまいました。 私達夫婦の関係は悪くなかったのですが、

                    一人っ子であった夫は仕方なくそれに従い、13年間の結婚生活を経て二度目の離婚に至ってしまいました。

 

                      そして実家に戻って半年後、今度は私の実の母が倒れてしまい、今度は母の介護が始まりました。

                                                脳梗塞から認知症になり、だんだん子供の様になって行く母に、愛おしい気持ちが私の中に湧いてきました。  

                    子供のいない私に母は子育ての体験をさせてくれた様に感じました。 私は時には娘、時には母親のお母さん、

                    時にはヘルパーさんの役を母に合わせて演じる事を楽しみました。  母親との時間は楽しく、ヘルパーさんも加わり

                    大いに笑ったものでした。 ところが、母の介護と同時に父親やきょうだいとの確執が起きてしまいました。 

                    今にして思えば、私の中に父親を始め、きょうだい達に対して、「時には母を看てもらいたい、少しは楽をさせて!、

                    たまには遊びに行きたい!」等、甘えの気持ちがあった為、そのような立ち居振る舞いになってしまったのでしょう。 

                    父親が怒鳴りだしたり......と家族の心はバラバラでした。 

 

                  母親との介護は楽しいのに、家族との確執に精神的に追い詰められ、クタクタになってしまいました。

                    こんな嫌な気持ちで母の介護はしたくない! 誰かを頼ろうとしてしまう、私の中に「甘え」があるからと気付き、

                    ある時「もういい! 私が一人でも母の面倒を見よう!」人を頼って甘えて傷ついての繰り返しに疲れきってしまい、

                    追い込まれ、やっとそう強く決心する事が出来ました。 そう決めた事で、とても気持ちが楽になりました。

                    それ以降、私は家族に文句を言う事を止めました。  と言うより文句を言う元気もありませんでした。

                     しかしそう決心してからは、以前は「手伝ってくれて当たり前!」だった気持ちから、「手伝ってくれなくて当たり前!」と

                    視点を変えた事で、今度は手伝ってくれると、感謝の気持ちが湧いて来る様になってきました。 

 

                    するとある時、父親の方から「俺がみているから、いいよ休んでおいで!」と優しい言葉を掛けてくれる様になったのです。 

                    期待していなかっただけに、驚きと感動を覚えました。   やっと父親と心が通じ合える時間を持てるようになり、

                    それ以降父親はずいぶん変わっていきました。 そしてそれからは父親と二人三脚で、母親の介護が出来る様になり、

                    私も時々は時間が持てる様になりました。  不思議な事に、この決意をした時、まるで神様からのプレゼントの様に

                    新しい恋人が出来たのです。  それが現在の主人(イタリア人)です、友人の紹介でした。 彼はブリスベンに住んでいて

                    何度も日本を訪れてくれ、母を抱いて移動を手伝ってくれたり、私の精神的な支えになってくれました。   2年3年と

                    月日が経ち、やがて結婚の話になり、お互いの親の年齢を思うと、後悔しないように!式だけは先に挙げましょう!

                    と言う話になりました。 ところが式を予定していた半年前、母は重い脳梗塞の発作から、とうとう植物状態になってしまいました。 

                    もう話す事も出来なくなってしまいました。 只、病院で完全看護状態でしたし、容態も安定していましたので、

                    病院に事情を説明し、終わったらすぐ帰国しますからと母を頼みました。  

 

                    そしてオーストラリアでの式に家族も出席してくれて、無事に終わらせる事が出来ました。 

                    それから数日後、そろそろ帰国の準備に入った時、それまで安定していた母の容態が突然変わったのです。

                    危篤状態になってしまいました。  父が予定のフライトで帰国し、その足で病院へ向かった時には、

                    大きな荒い呼吸をしていたそうです。 そしてその翌日、母は大きな呼吸をした後、静かに息を引き取ったと聞きました。 

                    父が母に会う為には、それが最後のフライトでした。 次のフライトでは間に合いませんでした。 

                    私は最後の瞬間に立ち会う事は出来ませんでしたが、母は「もういいよ!」と私を解放してくれた様に感じました。 

                    まるで式迄は、頑張って生きていてくれて、そして全てが終わった後、私が新たな生活をスタート出来る様にと・・・ 

                    結婚式からちょうど一週間後に、母は亡くなりました。

                    赤ちゃんや寝たきりのお年寄り、つまり自分で自分の事が出来ない人達は、人のお世話になっているかもしれないけれども、

                    実は立派に「愛を教える仕事をしている人達なんだョ!」と教えてくれた人がいましたが、まさにその通りだと思いました。

                    全てのターニングポイントは母の介護からでした。 多くを教えてくれました。  脳梗塞~認知症になって行った事で

                    顕在意識状態~潜在意識に以降した母、元気だった頃には決して見せなかった母の本音は、本当はこんなにも

                    可愛くて、面白くて・・・全く知らなかった母を知る事が出来ただけでも、介護出来て本当に幸せでした。

                     

                    人生山あれば谷、それは結婚して3年目の秋、日本に帰る時はいつも健康診断を済ませて帰って来るのですが、

                    乳ガン健診の結果乳ガンが見つかりました。  日本に住んでいたら「いつでも検診は受けられる!」と、きっと頻繁には

                    受けなかった事でしょう。 ですが、海外生活となると医療の問題は私の中で大きなウエイトを占めていますので、

                    帰国の度に健診を受けていました。 それが返って良かったのか、5mmと非常に小さく、早期発見となったのは、

                    不幸中の幸いでした。   小さなガンですが、温存療法でその後抗がん剤や化学療法等の治療に通う事は

                    出来ませんので、全摘出手術を選択しました。 私にはそれしか選択の余地がなかったのです。

 

                    その後乳がんセミナー等に出席し、実に多くの患者さん達が温存療法の為に再発をしている事実を知りました。 

                    その患者さん達から「5mmで全摘なんて凄い~!」と言われましたが、もし日本に住んでいたら、やはり私も温存療法を

                    選択していたかもしれません。  私は海外に引っ越した為に命を救われたかもしれないのです。

                    最近アメリカでは乳がんになると、両乳房共全摘出する人が増えていると聞きました。  

 

                     人生は時に、想像していた以上にずっとドラマティックです。 私はこの様な結婚・離婚~再婚・離婚そして乳ガン~と、

                    初めて自分の死をも見つめました。 さまざまな貴重な体験を通して、同じ様に悩み苦しんでいる方達に寄り添う事が出来れば!

                    と、いつしか自然とそう考えるに至りました。

   

                       一回のあなたの貴重な人生、ちょっとした視点を変える事により、

                    暗闇から光輝かす人生に変える事も可能なのだ!と言う事を、是非お伝え出来れば!と、願っております。

                    私のターニングポイントとなりました、母の介護を通して学べた事、その時に視点を変えた事により、その後の人生が

                    変わってしまった事、そして現在はオーストラリアで主人を通してイタリア人社会の素敵な習慣等に触れ、その違った視点から

                    今度は日本をそして日本人を見れるようになって来た事で、違った視点からのアドバイスもしてみたい、 

                    そんな風に思える様になった事......................

                                  それが、なぜ私がカウンセラーになろうと思ったのか!の理由なのです。

 

                                                                         


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